皆さん。こんにちは。おさとです。
このコロナ禍の中、大阪ではついに赤信号が点灯してしまいました。(この記事は2020/12/04に執筆しています。)
お変わりなくお過ごしでしょうか。また、つらい時期となりますが、何とか乗り切ってまいりましょう。
旅行には行けずとも、思いを馳せたり、軽い計画を立ててみたり、下調べをしてみたり、いろいろと「旅」にまつわることはできたりします。実行できないだけです。
そんなわけで、この私自称新選組マイスターによる、「新選組を知ってほしいので訪れてほしい場所」5選を紹介したいと思います。
新選組とは?
あまり多くは語りません。
あの浅葱色に白だんだら形の袖裾の羽織をまとった、あの人たちです。詳しくない方も時代劇とかで一度は見たことがあるのではないでしょうか。
詳しくはGoogle先生に聞いてください、ということになってしまうのですが、ざっくりと。
日本の幕末期、会津藩の預かりとなって京都の治安維持を担った組織です。
当時の京都は、過激な浪士達が夜な夜なテロ行為を行う、まさしく修羅の国状態になっていました。
幕府は既存の警察(奉行所役人)では対応できないとし、「浪士でもって浪士を制する」建策を取り上げ、実行します。
それが、浪士組、のちに形を変えつつも新選組となります。
そんな新選組も、幕末の動乱の中、やがては賊軍として追われる身となり、ついには北海道箱館に至るまで戦いましたが力及ばず、新政府軍に降伏しその役目を終えました。
そんな幕末浪漫溢れる新選組について、まだまだ語りたいところではありますが、そのあたりはぜひまたの機会に取っておくとして、さっそく、「新選組知らないんだけど」な方にも楽しんでいただけるスポット5選、ご紹介していきましょう!
八木邸
新選組がはじまった地です。
浪士組が江戸から上洛し、彼らはいくつかの家に分宿させられることになりました。
その中で、後に新選組の局長近藤達中心メンバーが間借りしていた家こそ、この八木邸なのです。
ここでは、新選組の黎明期、どんな暮らしをしていたか垣間見ることができます。芹沢鴨暗殺の現場等も見学できます。
また、学芸員さんの物語、お茶菓子付き、でそれらも楽しむことができます。
隊士が多くなってきたあたりから、はす向かいにある前川邸も間借りするようになり、そちらも見学できますので、ぜひ。
西本願寺
新選組が京都で活動していた後期に、八木邸から移転された屯所が西本願寺です。
世界遺産にも指定されている、浄土真宗の総本山です。
西本願寺では、その広さとお堂の荘厳さや穏やかさ、それとはある意味対となる存在の新選組がどう生活したか、という想いを馳せることができます。
大修理が終わり、今まさに美しい西本願寺を拝むことができるのもポイントです。
土方歳三資料館
新選組の鬼の副長、土方歳三が生まれ育った生家です。
それを、資料館として末代である土方愛さんが一般公開しています。
「新選組」は土方歳三が作ったと言っても過言ではなく、彼の遺品等が展示されています。
彼と、そして局長近藤勇ら隊士達がいかに戦ったか感じ入ることができるはずです。
五稜郭
五稜郭、というよりは、新選組が最後に戦った地、箱館です。
五稜郭は、旧幕府軍で構成された蝦夷共和国の政府が置かれた場所です。
かの地の弁天台場というところで新選組は最後まで奮戦しましたが、土方歳三が戦死し箱館市内も新政府軍に占領されたため、降伏しました。
新選組最後の地として、北海道の風土もあいまって、もの哀しさが伝わってくる場所です。
現在は公園として一般開放されています。
光縁寺
最後はこの光縁寺です。
新選組隊士の中で亡くなった方の多くは壬生寺、というところの方で弔われていますが、こちらのお寺にも隊士の方が弔われています。
そして、局長近藤ら試衛館時代からの盟友である、山南敬助が眠っています。
住職からは彼らにまつわるお話を聞くことができます。
マイナーですが、だからこそ、この場所を最後に推したいと思います。
いかがだったでしょうか。
他にもたくさんの場所を挙げたいのですが、断腸の思いで5選とさせていただきました。
新選組は京都が主舞台でしたが、その足跡は各地に見ることができます。
これを機会に、ぜひ新選組に興味を持っていただき、彼らがどう生きたのか、あの時代がどういう時代だったのか、そしてそのうえで今ある自分たちについて考えてみる。
そんなきっかけになれば幸いです。
それでは。
参考URL
https://www.hijikata-toshizo.jp/