皆さんこんにちは。ぶんじゃくです。
先日、吉野ケ里遺跡で新たに「石棺」が発見されました。
邪馬台国があったとされる紀元2~3世紀頃のものだとわかり、注目を集めています。
(本格的な調査は2023/06/05からですが、現在このブログは06/01に書いています。)
長らく日本の古代史において、この弥生時代後期という時期は謎に包まれているため、今回の発見でその謎の解明が進む可能性があります。
この時期、中国は後漢末から魏および晋の時代。いわゆる三国志の時代です。
授業で習ったとは思いますが、邪馬台国や卑弥呼といった記述は魏志倭人伝に記載があるとされていますが、その概要は謎に包まれています。
まず、魏志倭人伝についてですが、正確には三国志という書物の中の魏志という節で、倭人(日本人)について書かれている箇所があるため、それを抜粋したものになります。
魏志倭人伝という書物があるわけではないのです。
しかも、中国にとってはかなり遠方の国のことのため、記述も少なく曖昧です。
そして、邪馬台国の位置についてですが、その解釈についても諸説あることから、長らく議論が繰り広げられているのです。
詳しくはこちらをご覧ください。
https://www.yoshinogari.jp/ym/topics/
日本史でなんとなく弥生時代で米作っただの高床式倉庫だの習った後に、飛鳥文化に飛んでいないでしょうか。
それにはこういった理由があるのです。
改めて、今回の発見で邪馬台国の位置がわかるような発見があればそれはもう大発見で、まさかこの石棺に入っているのが卑弥呼だとしたら?
日本の古代史についてはまだまだわからないことが多く、今回の発見で古代史の考察が大きく進むことを願っています。
私たちのルーツはいったいどこにあるのか。ワクワクが止まりません。
それでは今回はこの辺で。
さようなら。