映画評「生きる-LIVING」

こんにちは。くるーざーです。

突然ですが、思い出補正というネットスラングをご存じでしょうか? 過去の出来事はえして良い部分ばかり記憶に残る――というような意味の言葉です。

要するに、過去の思い出をものさしにして現在のものごとを評価する、なんてことはやめた方が良いのだということを念頭に置きつつ。

今回は映画「生きる-LIVING」についてのお話です。

※表題の映画、およびその原作の映画についてのネタバレを含みます。

概要

映画「生きる-LIVING」(公式サイト:https://ikiru-living-movie.jp/。以下イギリス版と称します)は、黒澤明監督による1952年公開の映画「生きる」(以下黒澤版と称します)をイギリスを舞台にリメイクした作品です。脚本はノーベル文学賞を受賞した、日本にルーツを持つイギリス人作家カズオ・イシグロ。

この映画の特徴の1つは、原作となった黒澤版をかなり忠実に再現していることです。原作は公開当時の1950年代の日本を舞台としていましたが、イギリス版もそれに合わせて同年代のイギリスを描いた作品となっています。

あらすじ

役所の市民課に勤める老紳士ウィリアムズ。彼は官僚主義のはびこる職場で空虚な日々を送っていたが、ある日医師から余命半年の宣告を受けたことをきっかけに、自らの人生を見つめなおそうとする――。

評価、あるいは思い出補正と解釈違い

良かった点から話しましょう。

主演のビル・ナイ氏は本作の演技でもってアカデミー賞の主演男優賞にノミネートされるなど、優れた演技を見せました。湿っぽいところは湿っぽく、格好良いところは格好良く、ベテラン俳優の面目躍如と言って良かったと思います。そもそもビジュアル面で英国紳士然とした姿がとても様になっていましたし。

背景美術も見事なものでした。かつて実際に行政施設として使われていたロンドン・カウンティ・ホールをロケ地として使うなど、1950年代のイギリスらしさに説得力を持たせつつ、それでいて美しい景色を描写することに成功しています。

さらに、脚本も同様に優れていました。私は黒澤版も見たことがありましたが、典型的な昭和の日本の光景を描いていた原作映画からストーリーはあまり変えず、それでいて英国の物語としてまったく違和感のないものに仕上がっており、その改作の手腕には感心するほかありません。

――さて。

ここまで褒めてきましたが、個人的にはこの映画はあまり楽しめませんでした。

いや、正確に言うと面白い映画ではあったと思います。上記の長所は客観的に見て優れているものだと感じていますし。

それでは何が引っかかってしまったのか? 答えは、忠実にリメイクされているがゆえに黒澤版との微妙な違いが目についてしまったことです。

黒澤版は1952年と終戦後すぐの公開ということもあり、21世紀に生きる人間の目からすると背景などはあまり綺麗ではありません。どころか猥雑と言っていいものでした。

主人公も英国紳士からは程遠いくたびれた老人で、周囲から疎まれていることに説得力のある、誤解を恐れずに言えば気持ち悪い男です。

黒澤版・イギリス版とも、物語前半に主人公が今までにないことをしようと酒に手をだしたり賭け事を始めてみたりストリップショーを見に行ってみたりという行動をとるのですが、ひたすら抑制が効いていてあまり楽しめてなさそうだったイギリス版の主人公に対し、黒澤版の主人公はあっさり欲に溺れるようなふるまいを見せます。

挙げていけばキリがないのですが、このような細かい違いがどうしても気になってしまいました。とくに上で例示した差異は気にかかるもので、黒澤版は背景の猥雑さや主人公の情けなさがあったからこそ終盤の描写に味が出ているのだと私は思っていたため、不満を感じやすかったところはあります。いわゆる解釈違いというやつですね。

とはいえ。ここまで遠大に語ってきたものの、実をいうと私は黒澤版も一度しか見たことがありません。それも、見たのももう4、5年は前なので、記憶も薄れてきているでしょう。それゆえ、細部で記憶の美化が始まっている恐れがあります。

そう、これこそブログの冒頭で述べた「思い出補正」の典型例に違いありませんね。黒澤版を見た記憶が美化されているがゆえにイギリス版を心から楽しめないだなんて、なんともったいないことか……。

総評

というわけで、黒澤版を見たことのない貴方にはイギリス版はとてもおすすめです。この映画の長所を、余計な記憶に邪魔されることなく素直に楽しむことができると思います。

そして願わくば、感想を教えてください。変なバイアスのかかっていない意見を聞かせてもらえましたら、それに勝るほどうれしいことはありません。